子どもに戻る
母を見ていると、人間はある程度年齢を重ねると退化していくのだということがわかります。
発言も思考回路も幼児そのもの。
80歳を前に、彼女が持つ『大人力』の衰えをひしひしと感じています。
大人力とは社会性や倫理性で己の言動を整えることでしょうか。
我を貫くのではなく、目の前の人間のことも慮る。それってとてもエネルギーを使うのでしょうね。もうその力は残っていないのだ。会うたび思い知らされます。
今、彼女は思ったことを無邪気に口にしすぐに忘れます。
常識の通じない2歳児とよく似ており、けれどお構いなしに次々発せられる言葉。
うまく聞き流せなくなると、白旗を挙げて母の側から離れることにしています。
言い返してもよいことなし。それも経験済のこと。
そういえば私もいろんなことが出来なくなってきました。
いや、頑張ろうと思えばできる。ただ、頑張りたくないのです。
家事でも掃除でも。
最初はぐうたらなのかと自分を責めていましたが、これは年齢のせいかも、と思うことにしました。料理研究家も雑誌でそのようなことを書いていましたから。時間があれば、ゆっくりならできる。でもそれもないのですから仕方ありません。
もう、これは、老いのせいにしておくことにしましょう。
この年齢なりの暮らし方を見つめ直す必要がある。
あぁ今一度、立ち止まらねば、ぐるりと生活の全てと自分のペースを見直さねばと感じています。
母を見ていると、老いの準備ができますから、ありがたいです。